徳姫(五徳姫)は、織田信長の娘として生まれ、政略結婚で徳川家康の息子、松平信康に嫁いだ人物として知られています。
この記事では、徳姫(五徳姫)が何をした人なのかということを中心に、生い立ちや生涯を簡潔にわかりやすく紹介します。
徳姫は何をした人?
徳姫は、織田信長の娘として生まれ、政略結婚で徳川家康の長男、松平信康に嫁いだ人物です。
また、徳川家康の正室、築山殿(瀬名)と松平信康が死亡した築山殿事件に深い関わりのある人物としても知られています。
徳姫のプロフィール
名前 | 徳姫(とくひめ) |
別名 | 五徳姫(ごとくひめ)、おごとく、岡崎殿(おかざきどの) |
出身地 | 尾張国 |
生年月日 | 1559年11月11日 |
死亡年月日 | 1636年2月16日 |
享年 | 78歳 |
活躍した時代 | 戦国時代、江戸時代 |
家族 | 織田信長(父)、松平信康(夫)、登久姫(娘)、熊姫(娘) |
徳姫のかんたん年表
1559年 | 尾張国の戦国大名・織田信長の長女として誕生 |
1567年 | 徳川家康の嫡男・松平信康に嫁ぐ |
1576年 | 長女、登久姫を生む |
1577年 | 次女、熊姫を生む |
1579年 | 父の信長に、築山殿と信康の罪状(武田との密通など)を訴える十二ヶ条の訴状を書き送る(築山殿事件) |
1580年 | 家康と会見、岡崎城を出立 |
1630年 | 京都にて死去 |
【徳姫はどんな人?】生い立ちや生涯を紹介
徳姫(とくひめ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活動した女性です。
徳姫は1559年、尾張の戦国大名、織田信長の長女として誕生しました。
徳姫の母親は、信長の側室である生駒吉乃という女性だといわれています。
徳姫は、「おごとく」(五徳姫)とも呼ばれていました。
松平信康との政略結婚
徳姫は、1567年、徳川家康の長男である松平信康に嫁ぎます。
このとき、信康も徳姫も同い年で9歳でした。
この結婚は、織田信長と徳川家康の同盟関係を強化するための政略結婚でした。
当時、家康は今川氏からの独立を果たし、織田氏との同盟を結ぶことに成功していました。
この同盟を強固なものにするために、家康の長男である信康に徳姫が嫁ぐこととなったのです。
1570年、家康が浜松城に移り、信康が岡崎城主になったことで、徳姫は岡崎殿(おかざきどの)と呼ばれるようになります。
築山殿(瀬名)、信康との不和
信康と徳姫は、登久姫と熊姫の2人の娘を生みます。
しかし、嫡男が生まれないことで、信康の母(徳姫から見たら姑)の瀬名(築山殿)が心配し、信康に側室を迎えさせました。
このようなことが原因で、築山殿と徳姫、信康と徳姫との間に不和が生じたと言われています。
徳姫と信康の不和は顕著なものとなり、岡崎城まで家康や信長が仲裁しに来たというできごとも記録に残っています。
築山殿事件、信康事件
築山殿事件の真相については、諸説ありますが、ここではその一つであり有名なものを紹介します。
1579年、徳姫は父の信長に対し、築山殿と信康の罪状を訴える十二ヶ条の訴状を書き送りました。
訴状の内容は、築山殿と信康が武田氏と内通しているという内容であったとされています。
これを受けて、信長は家康に対して、築山殿と信康を殺すように命じました。
これにより、築山殿は殺害され、信康は切腹しました。
この事件のことを「築山殿事件」あるいは「信康事件」といいます。
その後の徳姫
築山殿事件の1年後、徳姫は岡崎城にやってきた家康と会見後、岡崎城を出ています。
その後は生涯独身で、時代の流れとともに織田家や豊臣家、徳川家の庇護を受けながら、最終的には京都に隠棲、78歳の生涯を閉じました。
徳姫のエピソードや逸話
築山殿と松平信康が殺された事件は「築山殿事件」「信康事件」などと呼ばれますが、この事件の真相は不明で複数の説があります。
以前からあった定説は、女の嫉妬というような、矮小化されたものでした。
上記でも述べた、徳姫が信長に訴状を出し、それに怒った信長が家康に命じたというものが有名ですが、最近の研究ではこれは後世の創作であるという説も出てきています。
それよりも、最近の説では、徳川家康と松平信康の不仲が原因であったという説も有力です。
松平信康が謀反を企てていたという説もあります。
また、家康がお万の方との間に子供をもうけたことから、家康と築山殿との間に距離ができたことも遠因であるという説もあります。
以前からの定説のように、徳姫と築山殿の嫁姑関係であったり、女の嫉妬が原因だったということであれば、後に徳川家康が天下をとった際、徳姫に対して何かしらの報復が行われていてもおかしくはなさそうですが、実際には徳姫は徳川家の庇護のもと、天寿を全うしています。
このように、築山殿事件の真相は不明なままなのです。
徳姫の子孫は?
徳姫の長女の登久姫は、信濃松本藩初代藩主の小笠原秀政に嫁ぎ、次女の熊姫は、播磨国姫路藩初代藩主の本多忠政に嫁ぎました。
大名の妻として、その血脈を残していくことになります。
おわりに
徳姫について、何をした人なのかということや、どんな人なのかということについてわかりやすく紹介しました。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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