このページでは、応神天皇(おうじんてんのう)について簡潔にわかりやすく解説します。
目次
応神天皇について簡単に解説
応神天皇について簡単に解説します。
応神天皇の実在性は定かではありませんが、4世紀末~5世紀に実在した大王と考えられています。
後代の有力な渡来系氏族の祖とされる阿知使主(あちのおみ)、弓月君(ゆづきのきみ)、王仁(わに)などは、応神天皇の時代に渡来し、多くの大陸文化を伝えたといわれています。
応神天皇は、『宋書』倭国伝の「倭の五王」の讃に該当すると考えられています。
陵墓は大阪府羽曳野市の誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)であるとされています。
誉田御廟山古墳は大仙陵古墳に次いで、日本で2番目に大きい古墳です。
受験生がおさえておきたいポイント
大学受験で日本史を勉強している受験生へ、おさえておきたいポイントをピックアップします。
受験日本史での「応神天皇」の重要度は★★です。(5段階中の2)
倭の五王の讃に該当することを覚えておけば良いでしょう。
- 応神天皇は4世紀末~5世紀に実在した可能性の高い大王。
- 倭の五王の讃に該当すると考えられている。
- 応神天皇の時代に多くの渡来人がやってきて大陸文化を伝えた。
- 陵墓は誉田御廟山古墳。
応神天皇のエピソード・逸話
「記紀」において、応神天皇は仲哀天皇と神功皇后の間に生まれた15代天皇と言われています。
ですが、仲哀天皇と神功皇后は実在性が疑われており、また応神天皇の出生状況などにも説話的、神話的要素が強いことから、応神天皇をそれ以前の皇統とは隔絶した新王朝の創始者とする説もあります。
応神天皇が河内(現在の大阪)に拠点を移したと言われていることから、河内王朝と呼ぶこともあります。
応神天皇の史跡など
大阪府羽曳野市の誉田御廟山古墳が、応神天皇の陵墓であると伝えられています。
以上、応神天皇について解説しました。
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