日本史人物解説

倭の五王についてわかりやすく解説

このページでは、倭の五王(わのごおう)について簡潔にわかりやすく解説します。

倭の五王について簡単に解説

倭の五王について簡単に解説します。

倭の五王とは、5世紀頃に存在した倭の5人の王のことです。
倭の五王のことは、中国の歴史書『宋書』倭国伝に書かれています。
それによると、421~502年にかけて、5人の倭王が宋などの中国南朝に13回朝貢したことが記録されています。

『宋書』倭国伝のなかで、倭の五王の名は「讃・珍・済・興・武(さん・ちん・せい・こう・ぶ)」と中国風の呼び名で記録されています。
倭の五王が、記紀(古事記と日本書紀)のどの天皇に該当するかについては諸説ありますが、済は允恭天皇、興は安康天皇、武は雄略天皇に該当すると考えられています。

倭の五王に関連するところで重要なのは、「倭王武の上表文」と呼ばれる文書です。
これは、倭王の武が宋の順帝に奉った文書で、朝鮮半島での軍事権、支配権の正当性を要求するものです。

この時代の日本が、中国の冊封体制のもと、東アジアという地域の中で国際的に行動していたことがわかります。

受験生がおさえておきたいポイント

大学受験で日本史を勉強している受験生へ、おさえておきたいポイントをピックアップします。
受験日本史での「倭の五王」の重要度は★★★★★です。(5段階中の5)
倭の五王がなぜ中国に朝貢したのかをおさえておくと良いでしょう。
また、「倭王武の上表文」の「武」が雄略天皇であり、埼玉県の稲荷山古墳出土の鉄剣銘「獲加多支鹵大王(わかたけるのおおきみ)」と同一人物であるというのも覚えておくと良いでしょう。

  • 倭の五王は5世紀頃に存在した5人の倭王のこと。
  • 『宋書』倭国伝に記録されている。
  • 倭の五王の名は「讃・珍・済・興・武」。
  • 「武」は雄略天皇。
  • 「倭王武の上表文」では、朝鮮半島での軍事権、支配権の正当性を要求。
  • 朝貢によって、武は安東大将軍倭王という称号を得た。
  • 「武」は雄略天皇であり、埼玉県の稲荷山古墳出土の鉄剣銘「獲加多支鹵大王(わかたけるのおおきみ)」と同一人物。

倭の五王のエピソード・逸話

倭の五王が中国に朝貢したのは、国内的にも国際的にも中国皇帝の後ろ盾を得るためです。
国際的には朝鮮半島での軍事権、支配権の正当性。
国内的には、各地の豪族などに対する権威の正当性を求めたのでした。
実際、埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣にワカタケル大王(倭王武)の名が刻まれていたことから、大王の影響が東国まで及んでいたことが考えられます。

以上、倭の五王について解説しました。
最後までお読みいただきありがとうございます!

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