この記事では、縄文時代の生活と暮らしについて解説します。
縄文時代の生活はどのように成り立ち、どういう道具が使われていたのでしょうか。
そうした疑問に答えていきます。
記事のなかでは
・縄文時代の特徴的な道具
・縄文時代の生活と社会
・縄文時代の食料獲得方法
について、見ていきます。
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この記事を書いている筆者は、大学時代は史学科で日本史を専攻していました。
このサイトでは、日本史を学んでいる高校生が、読むだけで大学受験レベルの知識を身につけることができることを目指して記事を書いています。
マーカーがついている文字は、高校生が抑えておきたい用語やポイントです。
それではさっそくいってみましょう。
縄文時代の特徴的な道具
まずは、縄文時代に使われていた特徴的な道具を紹介します。
土器、磨製石器、弓矢、骨角器です。
土器
縄文時代を代表する道具は、なんといっても土器です。
更新世が終わり、気候が温暖化するにともない、豊富な木の実が入手できるようになります。
それらの木の実を調理・保存するために土器が作られるようになったと考えられています。
縄文時代に作られた土器の多くには、縄目の模様がついていて、そこから縄文土器という名称がつけられました。
縄文土器は、焚き火などで焼かれていたと考えられています。
特徴としては、低温で焼かれていて厚手でもろいという特徴があります。
縄文時代は1万年以上続きますので、その長い期間の間に土器の形状や特質も変化していきます。
縄文土器の変化をもとに、縄文時代は6つに時代区分されています。
・草創期
・早期
・前期
・中期
・後期
・晩期
の6つの時期です。
このなかで特徴的なのは、
中期に現れる火焔土器(火炎土器)。
それに、青森県の亀ヶ岡遺跡で発見された、複雑な形で独特の文様をもつ亀ヶ岡式土器(晩期)などがあります。
磨製石器
縄文時代になると、石を研いだり磨いたりして作った磨製石器も使われるようになりました。
代表的な磨製石器としては、木の実をすりつぶす石皿。木を切ったり土を掘るのに使った石斧。動物の毛皮を剥いだりするのに使った石匙(せきひ)などがあります。
磨製石器が使われるようになったからといって打製石器が使われなくなったわけではなく、打製石器も併用して利用されていました。
弓矢
弓矢も縄文時代の特徴的な道具のひとつです。
気候の変動により大型動物が絶滅すると、シカやイノシシなどの中・小型動物が狩りの対象となります。
これらの動物は素早いので、飛び道具があると狩りやすいですよね。
そこで、縄文人は弓矢を発明しました。
矢の先端の矢じりには、石鏃という石器が使われています。
骨角器
縄文時代には、動物の骨を削ったりして作った道具も使われます。
そうした道具を骨角器といいます。
代表的な骨角器は釣り針です。
現在使われている釣り針と同じような形をした釣り針が骨から作られて使われていました。
縄文時代の生活と社会
つぎに、縄文時代の生活と社会がどのようなものであったかを見ていきます。
竪穴住居と環状集落
旧石器時代から縄文時代への移り変わりの時期には、地球規模での気候の温暖化が起きりました。
地質学でいう更新世から完新世への移り変わりです。
気候変動により、木の実や魚貝類が豊富に採れるようになり、食物の確保が可能になると、人々は定住するようになりました。
縄文時代の人々が住んだのは、竪穴住居と呼ばれる建物です。
竪穴住居は、建物の形に合わせて40~50センチほどの穴を掘り、数本の柱を建て、草や土などで屋根と壁を作ったものです。
竪穴住居は10畳くらいの広さのものが一般的で、真ん中には囲炉裏があります。
平均的な縄文時代の集落は、竪穴住居4~5軒程度で形成されていて、人口は30人前後だったと考えられています。
なので、ひとつの竪穴住居に住むのは6~8人前後だったのでしょうか。
ちなみに、縄文集落のなかには大規模化していくものもあり、青森県の三内丸山遺跡では巨大な竪穴住居の跡が見つかっていて、集落の人口も最盛期には500人ほどいたと考えられています。
縄文時代の集落は、広場が中心にあり、広場を囲むように円形に竪穴住居が配置されているのが一般的な形です。
このような形の集落を環状集落といいます。
貝塚
縄文時代の集落の遺跡からは、貝塚もセットになって発見されます。
貝塚とは、食べたあとの貝殻などを捨てたゴミ捨て場のこと。
貝塚からは、貝殻のほかに縄文時代の道具や獲物の獣骨、さらには人骨なども発見されています。
貝塚から発見されたものをもとに、縄文人の生活ぶりも推測されています。
日本の土壌は酸性のところが多いので、骨などは長い年月の間に溶けてなくなってしまうのですが、貝塚では貝殻に含まれる炭酸カルシウムの影響で土壌がアルカリ性になり、当時の遺物が保存状態の良いままで発見されるのです。
貝塚からは人骨なども発見されていることから、単なるゴミ捨て場ではないのではないかとの説もありますが、通説ではゴミ捨て場と考えられていますので、それで大丈夫です。
縄文時代を代表する有名な貝塚は、東京都の大森貝塚です。
大森貝塚はアメリカ人のモースによって発見されました。
また、千葉県の加曽利貝塚も日本最大級の貝塚として有名です。
縄文時代に貧富の差や上下関係はあった?
集落内の竪穴住居に大きさの差がないことや、共同墓地に埋葬されていたこと、発見された人骨に副葬品などが見つかっていないことから、縄文時代には、貧富の差や上下関係はなかったと考えられています。
縄文時代には交易が行われていた
縄文時代には、広い範囲で交易が行われていたことがわかっています。
なぜ交易が行われていたことがわかるのかというと、特定の地域でしか採れない黒曜石やひすい、サヌカイトといった石が、広域で見つかっているからです。
黒曜石はガラス質の石で切れ味が鋭く、打製石器として石鏃(矢じり)などに使われていました。
縄文人にとってはとても貴重な石だったのですね。
この黒曜石は、どこでも採れるわけではありません。
代表的な産地としては、長野県の和田峠があります。
長野県和田峠産の黒曜石が、関東や中部の様々な遺跡から発掘されていることから、黒曜石を介した交易が行われていたと考えられています。
また同様に、新潟県の姫川が代表的な産地であるひすい(装飾品などに使われた)や、香川県が代表的産地であるサヌカイト(西日本を中心に広がった)も各地の遺跡で発見されています。
縄文時代の食料獲得方法
縄文人の食料獲得手段は、動物を狩る狩猟、魚を捕る漁労、木の実などを拾う採集が主な手段でした。
縄文時代後期には一部地域で原始農耕が始まりますが、縄文時代を通して、主な食料獲得手段は狩猟と漁労と採取です。
狩猟
旧石器時代にはマンモスやナウマンゾウなどの大型動物が狩猟の対象でしたが、縄文時代になると、シカやイノシシなどの中・小型動物が狩猟対象となります。
それにともない、狩りの道具として弓矢が使われるようになります。
また、落とし穴などの罠も狩りの手段として使われていたことが分かっています。
漁労
縄文時代の日本は、海に囲まれた列島になっていたので、魚を捕る漁労も盛んに行われるようになりました。
縄文人は魚介類をかなり食べていたと思われます。
漁労の方法としては、釣りや、網を使った漁、銛を使った漁が行われていたようです。
また、丸木舟を使って海に出ることもできました。
釣りをするには釣り竿と糸と針が必要ですよね。
釣り竿には木の枝などを使い、釣り糸には植物のつるを使っていましたが、釣り針には、動物の骨などを加工して作った針を使っていました。
このような動物の骨などの加工品を骨角器といいます。
また、網の重りとして石錘という石器が使われています。
採集
完新世になり気候が温暖化すると、クリやクルミ、ブナやナラといった広葉樹林が日本列島で育つようになります。
その結果、豊富な木の実も採れるようになりました。
木の実はそのまま食べていたわけではなさそうで、すり石や石皿を使って粉状にし、水にさらしてアクをとり、さらに団子状にして焼いて食べていたようです。
木の実といっても、パンやお団子のようなイメージですね。
また、一部では植物の栽培も行われていました。
豆類やエゴマなどが栽培されていた形跡も残っていますし、青森県の三内丸山遺跡では、クリの木を栽培していた形跡があることも分かっています。
初期の稲作
縄文時代晩期になると、九州北部で初期の稲作が始まったことが分かっています。
水田や水路が見つかった縄文晩期の遺跡としては、福岡県の板付遺跡、佐賀県の菜畑遺跡があります。
まとめとポイント
以上、縄文時代の生活と暮らしについて、道具、住まい、食料獲得方法の3つの視点から解説しました。
縄文時代は気候の温暖化により、自然の恵みが豊かな時代でした。
そうした環境のなかで、身分差や貧富の差のない共同集落を営んでいました。
次の記事では、縄文人がもっていた独自の宗教観や呪術的風習にポイントを絞って解説していきます。
そちらもぜひご覧ください。
受験生が抑えておきたいポイント
さて、今回解説した箇所で大学入試を目指す受験生がとくに覚えておきたいポイントをいくつかピックアップします。
縄文時代は土器の形状や特質によって6期に区分される
「草創期→早期→前期→中期→後期→晩期」の6期ですね。
縄文時代の集落
竪穴住居が広場を囲む環状集落というのがポイントです。
縄文時代の食料獲得方法
狩猟・漁労・採集が中心で、農耕はほぼ行われていません。
狩猟・漁労・採集それぞれに使われた道具などの特徴も重要です。
石の産地
黒曜石→長野県の和田峠
ひすい(硬玉)→新潟県の姫川
サヌカイト→香川県
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