日本史講座

弥生時代のはじまりと特徴~弥生時代の全体像【日本史講座】

この記事では、弥生時代のはじまりと特徴について解説します。

・弥生時代はいつからいつまで?
・弥生時代の特徴
・弥生時代の政治と外交

といった内容について分かりやすく解説していきます。

ここでは、弥生時代の概要と全体像についてざっくりと解説するだけにとどめ、詳しい内容は別の記事で解説します。

記事の内容は基本的に通説にしたがい、大学受験レベルの受験生にも役立つ内容を心がけています。
受験生が押さえておきたいキーワードやポイントは、黄色マーカーで色をつけていますので参考にしてください!

それではいってみましょう。

弥生時代はいつからいつまで?

弥生時代は、紀元前4世紀頃から紀元後3世紀頃までの時期をいいます。

弥生時代は、縄文時代の次で、古墳時代の前の時代となりますが、はっきりといつからいつまでと境目が明確になっているわけではありません。

とくに縄文時代と弥生時代の境目はあいまいです。
縄文時代には一部でしか行われていなかった稲作が普及し、鉄器や青銅器などの金属器が使われだしたという特徴をもって弥生時代のはじまりとされています。

弥生時代の頃、世界ではどんなことが起きていた?

弥生時代になると、中国や朝鮮といった外国との関わりや外交が重要なポイントとなってきます。

日本で弥生時代が始まるころ、中国では戦国時代の真っ只中です。
人気漫画『キングダム』でも描かれている秦の始皇帝による中華統一は、紀元前230年から紀元前220年頃の出来事です。

その後の劉邦による漢の建国(紀元前202年)から、黄巾の乱に端を発する有名な魏・呉・蜀の三国志の時代(180年から280年頃)も、ずっと日本では弥生時代です。

ちなみに古代ローマでは、この頃は政治と文化が真っ盛りの時代です。

弥生時代の特徴 ~ 生産経済への移行

弥生時代の最大の特徴、つまり縄文時代と弥生時代の最大の違いは何かというと、生産経済が始まったことです。

縄文時代は、狩猟・漁労・採集の獲得経済の時代でした。
それに対して、弥生時代は、水稲稲作を中心とする生産経済の時代です。

つまり、田んぼを作って稲を育て、お米を食べるようになったのですね。

縄文時代に食べていた肉や魚と、米との大きな違いとして、保存ができるかどうかということがあります。
冷蔵庫のない時代、肉や魚は短期間しか保存できませんが、米は長期間の保存が可能な食べ物なのです。
これって革命的にすごいことなんですね。

稲作は九州北部で始まってから、約1世紀の期間で東北地方まで広がっています。
これは、当時としてはかなりの拡大スピードです。
それだけ、当時の人にとっては米という食べ物が魅力的だったのでしょう。

ちなみに、北は北海道、南は奄美や沖縄諸島では稲作は行われず、狩猟、漁労、採集の文化が継続します。
北海道の狩猟採集文化を続縄文文化奄美や沖縄の狩猟採集文化を貝塚文化と呼びます。

貧富の差や争いが発生

米は余剰生産が可能な食べ物なので、必要な分だけ自然の恵みを採って食べていた縄文時代と異なり、人間による食料の生産管理が始まります。

また、稲作には集団での作業が必要です。

そこでおそらく、集落のなかでリーダーのような存在も現れるようになったのでしょう。
結果、弥生時代になると集落の中で貧富の差が発生するようになります。

このことは、住居の大きさに差が見られることや、副葬品によってわかります。

また、弥生時代はかなり争いの多い時代であったことがわかっています。

生産経済のなかでは、気候条件などによって、米が不作になったりすることも起きたでしょう。
そうすると、自分の集落で米が不作だったときなどに、よその集落を襲って米を奪おうとする人々も出てきたと思われます。

また、稲作に適した土地の奪い合いなどもあったかもしれません。

縄文時代には動物を狩っていた弓矢は、弥生時代には人間同士の戦いの道具になるのですね。

弥生時代の集落は争いのなかで統合していき、ムラから小国へと変化し、規模も拡大していきます。
そして、戦いに敗れて統合された集落の住民は、おそらく奴隷のような存在になったのではないかと考えられています。

当時の日本の様子を書いた中国の歴史書には、弥生時代の日本に身分制度や奴隷制があったことが書かれています。
また、争いの規模が拡大していった様子は、中国の歴史書『魏志』倭人伝倭国大乱として書かれています。

金属器の使用

稲作とならんで弥生時代を特徴づける、大陸から伝わったものとして、金属器があります。

弥生時代に使われていた金属器には、青銅器と鉄器があります。

青銅器は祭器として使われますが、鉄器は、農具や工具、武器として実用的に使われていきます。

当時の鉄は最先端の道具であり武器でもありました。
鉄の道具をもてば生産力を上げることができましたし、鉄の武器をもてば強力な武力をもつことができたのですね。

弥生時代の日本では製鉄は行われていないので、朝鮮半島などから輸入していたのでしょう。

弥生時代中期以降、小国のリーダーたちは中国や朝鮮半島と関係構築のためにしばしば使節を派遣していることが、中国の歴史書に書かれています。

弥生時代の政治と外交

上で述べたように、弥生時代には集落同士の争いや、中国や朝鮮との外交が発生します。

ただ、この時代の日本国内での文字史料は残っていないので、中国の歴史書の情報から当時の様子を想像するしかありません。

この時代の日本の様子を知ることのできる史料としては、
『漢書』地理志
『後漢書』東夷伝
『魏志』倭人伝

の3つがあります。

『魏志』倭人伝には、有名な邪馬台国や、邪馬台国の女王卑弥呼のことも書かれています。

それぞれに書かれている内容等については、別記事で詳しく解説します。

まとめとポイント

以上、弥生時代のはじまりと特徴について解説しました。

この記事ではざっくりとした概要を解説しています。
まずはここで弥生時代の全体像を理解して、詳しい内容は別記事で解説します。

この記事が参考になれば嬉しいです!

最後まで読んでいただきありがとうございました。
この記事が参考になったら、コメントやシェアをしていただけると嬉しいです。

この記事に関する質問もコメント欄で受け付けています。
お気軽にコメントしてください。
コメントは「参考になった」などの一言でもすごく嬉しいです。

また、間違いなどを見つけた場合もコメント欄でご連絡いただけるとありがたいです。

このサイトでは、「日本史を学んでいる高校生が、読むだけで日本史の要点がわかり、大学受験レベルの知識を身につけることができる」ことを目標に記事を執筆しています。

また別の記事でお会いしましょう!

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)