日本史人物解説

卑弥呼についてわかりやすく解説

このページでは、卑弥呼(ひみこ)について簡潔にわかりやすく解説します。

卑弥呼について簡単に解説

卑弥呼について簡単に解説します。
卑弥呼が活躍した時代は弥生時代後期です。
生誕年や死没年についてはわかっていません。

卑弥呼のことは、中国の歴史書『三国志』の「魏志倭人伝」に書かれています。
倭の諸国間で大乱が起きたとき、それを収拾するために共立されて女王となりました。
この諸国連合が邪馬台国であるとされています。

卑弥呼は邪馬台国を治めるのに「鬼道」を用いていたと伝えられています(事鬼道)。
「鬼道」というのが何なのかははっきりとわかっていませんが、呪術的なものであり、卑弥呼もシャーマン的な要素の強い人物であったという説が一般的です。
卑弥呼は独身で、実際の政治は弟が担っていました。

239年、難升米を魏に派遣し、朝貢します。
その結果、魏の皇帝から「親魏倭王」の称号と金印、銅鏡などを与えられます。

卑弥呼が死没すると、巨大な墓が作られました。
死後、男の王が立ちますが、国が乱れたため、卑弥呼の宗女(一族の娘)である壱与(壹與)を女王にすると国が治まりました。

受験生がおさえておきたいポイント

大学受験で日本史を勉強している受験生へ、おさえておきたいポイントをピックアップします。
受験日本史での「卑弥呼」の重要度は★★★★★です。(5段階中の5)
魏志倭人伝や親魏倭王といった用語についてしっかりとおさえておくと良いでしょう。

  • 卑弥呼は30余国の諸国連合である邪馬台国の女王。
  • 卑弥呼や邪馬台国については『三国志』の「魏志倭人伝」に記述されている。
  • 鬼道と呼ばれる呪術を用いて、呪術的権威を背景に国を治めていた。
  • 239年魏に朝貢。親魏倭王の称号と金印、銅鏡を与えられた。
  • 邪馬台国には大人(たいじん)と下戸(げこ)という身分秩序があった。
  • 卑弥呼の死後、男王が立ったが国が乱れたため、卑弥呼の宗女、壱与が女王になった。

卑弥呼の簡易年表

239年
魏に使者を送る

これによって親魏倭王の称号を得ます。
このことは魏志倭人伝に書き記されています。

卑弥呼のエピソード・逸話

卑弥呼が女王として統治していた邪馬台国がどこにあったのかはわかっていません。
対立する説としては、畿内説と九州説があります。

卑弥呼の史跡など

邪馬台国が畿内にあったと主張する人の間では、奈良県桜井市にある箸墓古墳が卑弥呼の墓なのではないかと言われています。

以上、卑弥呼についての解説でした。
最後までお読みいただきありがとうございます!

こちらの記事もおすすめです

卑弥呼に関係のある人物や出来事などの記事へのリンクです。
ぜひ見てくださいね(^^)

壱与(台与)についてわかりやすく解説このページでは、壱与(いよ)について簡潔にわかりやすく解説します。 壱与について簡単に解説 壱与について簡単に解説します。 ...

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)