【詳細解説】天智天皇(中大兄皇子)は何をした人?簡単にわかりやすく紹介

この記事では、日本の第38代の天皇である天智天皇について、彼が何をした人なのかを簡単に紹介したいと思います。
天智天皇は、飛鳥時代の日本を大きく変えた人物であり、大化の改新や白村江の戦いなどの歴史的な出来事に関わりました。また、優れた歌人でもあり、日本初の戸籍や時計を作ったとも言われています。天智天皇はどんな人だったのでしょうか?彼の生涯や政治的業績、皇位継承の問題などについて、見ていきましょう。

この記事では、天智天皇について、彼が何をした人なのかを簡単に紹介します。

この記事でわかること

  • 大化の改新: 「天智天皇」が皇太子として行った画期的な改革で、天皇による中央集権国家の設立を目指した。
  • 白村江の戦い: 「天智天皇」が百済救援のために唐・新羅連合軍と戦った海戦で、日本軍は敗退したが、国防を強化した。
  • 文化的業績: 「天智天皇」が日本初の戸籍や時計を作り、優れた歌人としても知られる。
  • 天武天皇との関係: 「天智天皇」の同母弟であり、協力して国を治めたが、崩御後に跡継ぎ争いが起こり、壬申の乱となった。
目次

天智天皇は何をした人?簡単に紹介

どんな人?生涯と人物像

天智天皇は、舒明天皇と皇極天皇の間に生まれた皇子で、中大兄皇子と呼ばれていました。彼は、乙巳の変で蘇我氏を滅ぼし、大化の改新を行い、中央集権国家づくりを進めました。
668年に天皇に即位しましたが、わずか4年後の672年に崩御しました。
その後、天智天皇の皇太子であった大友皇子と弟の大海人皇子との間で壬申の乱が起こりました。
天智天皇は、知恵と勇気に富んだ人物として評価されています。また、歌や音楽、天文学、算術などにも通じていたとされています。万葉集には、天智天皇の作とされる歌が14首収録されています。

活躍したのは何時代?飛鳥時代の日本の様子

天智天皇が生きた時代は、飛鳥時代です。飛鳥時代は、6世紀から8世紀にかけての時代で、仏教や文化、制度などが中国や朝鮮半島から伝来した時代です。
飛鳥時代初期には、蘇我氏や物部氏などの豪族が権力を握り、天皇は傀儡になっていました。しかし、天智天皇は、蘇我氏を倒して天皇の権威を回復し、日本の政治を大きく変革しました。

大化の改新と白村江の戦い

天智天皇が何をした人なのかを知るには、大化の改新と白村江の戦いという二つの出来事を知る必要があります。
大化の改新とは、645年に天智天皇(当時は中大兄皇子)と中臣鎌足(のちの藤原鎌足)が、蘇我氏を滅ぼして行った政治改革のことです。

大化の改新では、以下のようなことが行われました。

  • 天皇の権威を高めるために、天皇の称号や元号を定めた
  • 豪族の私有地を廃止して、国家の所有地にした
  • 戸籍や租税制度を整備して、国民の身分や負担を明確にした
  • 政治の中心を飛鳥から近江に移した

大化の改新は、日本の歴史の中で最も大きな改革の一つであり、日本の国家体制や社会制度の基礎を作りました。天智天皇は、大化の改新の立案者であり、実行者でもありました。

また、白村江の戦いとは、663年に朝鮮半島で起こった戦争のことです。白村江の戦いでは、日本が支援していた百済と、唐と新羅の連合軍が激突しました。
日本は、百済の復興を目指して、約7万人の兵士を派遣しましたが、唐・新羅連合軍に大敗しました。白村江の戦いは、日本の朝鮮半島への影響力を失わせるとともに、唐の日本侵略の危機をもたらしました。天智天皇は、白村江の戦いの指揮官であり、敗北の責任を負いました。

政策の特徴と影響

天智天皇の政策の特徴は、中央集権化と文化の振興でした。

天智天皇は、大化の改新で始めた中央集権化をさらに進め、日本初の全国的な戸籍である庚午年籍を完成させました。庚午年籍は、朝廷の権力を強化するとともに、国民の統制と管理を可能にしました。また、天智天皇は、近江令という法令を作り、日本の法制度を整備しました。近江令は、唐の律令に倣って作られたもので、日本の政治や社会の秩序を定めました。天智天皇は、中央集権化と法制化によって、日本の国家としての体裁を整えました。

天智天皇の政策のもう一つの特徴は、文化の振興でした。天智天皇は、自ら歌や音楽、天文学、算術などに通じていたとされています。また、天智天皇は、文化人や学者を重用し、文化事業を推進しました。例えば、天智天皇は、日本初の時計である水時計を作らせたと言われています。水時計は、水の流れによって時間を計る装置で、唐から伝えられたものを改良したものでした。天智天皇は、水時計を使って、日本の暦や時間を正確にすることを目指しました。天智天皇は、文化の振興によって、日本の知識や技術を高めました。

天智天皇の政策は、日本の歴史に大きな影響を与えました。天智天皇の政策は、日本の国家としての体裁を整えるとともに、日本の文化を豊かにしました。この政策の方向性は、後の天武天皇や持統天皇が引き継ぎ、大宝律令や養老律令などの律令制度の完成につながりました。

中大兄皇子としての活躍

天智天皇は、天皇に即位する前に、中大兄皇子として長く称制しました。称制とは、天皇の代理として政治を行うことです。

中大兄皇子の時代には、以下のようなことをしました。

  • 乙巳の変で蘇我氏を滅ぼし、天皇の権威を回復した
  • 大化の改新を行い、中央集権国家づくりを進めた
  • 百済に救援軍を出し、白村江の戦いに参加した
  • 庚午年籍や近江令を作り、国家の統治を強化した

天智天皇の人生の大半は、中大兄皇子として称制していました。天皇に即位せず、日本の政治を大きく変えた珍しいパターンです。。

年表で見る主な出来事

天智天皇の生涯や業績を年表で見てみましょう。以下のようになります。

  • 622年:斉明天皇と蘇我倉山田石川麻呂の娘の間に生まれる
  • 645年:乙巳の変で蘇我氏を滅ぼし、大化の改新を行う
  • 663年:白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れる
  • 668年:天皇に即位する
  • 671年:庚午年籍を完成させる
  • 672年:崩御する

以上が天智天皇の年表です。天智天皇は、短い在位期間にもかかわらず、多くの出来事に関わりました。

天智天皇は何をした人?まとめ

最後にこの記事のポイントをまとめます。

この記事のポイント

  • 天智天皇とは:第38代天皇で、大化の改新や百人一首の歌などで知られる。
  • 天智天皇の業績:中臣鎌足とともに乙巳の変を起こし、蘇我氏を滅ぼす。律令国家の礎を築く大化の改新を実施。白村江の戦いで国防を強化。日本初の戸籍や時計を作る。
  • 天智天皇の死因と陵:諸説あり。京都山科にある山科陵がお墓とされる。
  • 天智天皇と天武天皇の関係:同母弟で協力関係。崩御後に長子の大友皇子との間で跡継ぎ争いが起こり、壬申の乱となる。妻の額田王は天智天皇の妻になる。

今回は、天智天皇について、彼が何をした人なのかを簡単に紹介しました。天智天皇は、飛鳥時代の日本を大きく変えた人物であり、大化の改新や白村江の戦いなどの歴史的な出来事に関わりました。また、優れた歌人でもあり、日本初の戸籍や時計を作ったとも言われています。天智天皇は、日本の歴史や文化に多大な貢献をした人物でした。

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