【なぜ見てはいけないのか?】三種の神器を見てはいけない理由と呪い・実在・禁忌の真相を徹底解説

三種の神器を見てはいけない理由

天皇ですら直接見ることが許されない――そんな「三種の神器」には、なぜここまで厳重な秘匿と畏れの文化が根付いているのでしょうか。
「三種の神器 見てはいけない理由」と検索したあなたも、ただの伝説で終わらないそのタブーの背景に、強く惹かれたのではないでしょうか。

三種の神器とは、草薙剣・八咫鏡・八尺瓊勾玉の3つの神宝を指し、神話では天照大神から授けられたとされる「皇位の証」です。
しかし、それらはなぜ「見てはいけない」のか。本当に今もどこかにあるのか。見た者に呪いが降りかかるという話は本当なのか。
また、第二次世界大戦後にマッカーサーがそれらを見たという都市伝説までありますが、事実なのでしょうか。

この記事では、三種の神器の正体や歴史、そして「見てはいけない」とされる理由を、古代神話から現代までひも解きながらわかりやすく解説します。
「本物」は現存するのか、誰が作ったのか、どこにあるのか、そして誰なら見れるのか――これらの疑問にも丁寧にお答えしていきます。

この記事を読むとわかること

  • 三種の神器を見てはいけない理由とその宗教的・歴史的背景
  • 三種の神器の実在性や「本物」は本当にあるのかどうか
  • 三種の神器にまつわる呪いやマッカーサーに関する伝説の真相
  • 三種の神器を見れる人や保管されている場所の実情
目次

三種の神器を見てはいけない理由とは

三種の神器を見てはいけない理由1
  • 三種の神器はなぜタブーとされてきたのか
  • 見た者に起きた呪いと天罰の記録
  • 歴史に残る神器を見た人物たち
  • 三種の神器は本当にあるのか
  • 三種の神器は今どこにあるのか

三種の神器はなぜタブーとされてきたのか

三種の神器が「見てはならないもの」とされてきた背景には、神聖性と皇位継承に関する厳格な伝統が深く関係しています。三種の神器とは、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の3つの宝物であり、日本神話に登場する天照大神から授けられた神宝とされています。これらは単なる装飾品ではなく、天皇の正統性を象徴する御印として古代より伝えられてきました。

なぜ見てはいけないのかというと、まず第一に、三種の神器は「神体」に近い存在であり、人間がむやみに触れたり見たりすることは不敬とされてきたからです。特に八咫鏡は、天照大神自身の姿を映すものとされ、「神の分身」として祀られてきました。そのため、神器に触れる行為は、神に対して無礼を働く行為と見なされ、タブーとされてきたのです。

もうひとつの理由は、歴史的な逸話や伝承の中に「神器を見た者に不幸が訪れる」といった記録が繰り返し登場するためです。こうした話は時代を超えて人々の間に根付き、次第に「絶対に見てはならないもの」という文化的な価値観が形成されました。実際、天皇ですら三種の神器を直接目にすることは許されておらず、儀式においても封印された状態で取り扱われます。

また、平安時代や鎌倉時代の説話集では、神器を見ようとした者が目が眩んだり鼻血を流したりするなどの「神罰」を受けたとされる逸話が複数存在します。こうした物語が「見ることへの恐れ」を広める土台となりました。

つまり、三種の神器がタブー視される理由には、神聖視の伝統、歴史的な逸話、宗教的象徴性、そして天皇の権威と結びついた政治的背景が複雑に絡み合っているのです。現代でもその伝統は生きており、誰ひとりとして実物を公に見ることは許されていません。それが、三種の神器が「絶対に見てはいけない」とされる理由の核心だといえるでしょう。

見た者に起きた呪いと天罰の記録

三種の神器にまつわる逸話の中でも特に注目されてきたのが、「神器を見た者には呪いや天罰が下る」という恐ろしい伝承です。これらはただの民間伝承や迷信と片づけるにはあまりにも具体的で、数々の歴史書や説話集に記録されています。

壇ノ浦の戦い(1185年)では、源氏の武士が平家が抱えていた神鏡の箱を開けた際に、目が眩み、鼻血が出るという異変に見舞われました。これを見た平時忠は「それは神鏡の箱である。無礼ではないか」と叫び、源義経が慌ててそれを元に戻させたといいます。こうした描写は『平家物語』や『源平盛衰記』、『吾妻鏡』などに共通して見られます。

また、冷泉天皇や陽成天皇の逸話でも同様の現象が報告されています。冷泉天皇が神璽の箱を開けようとした際には、藤原兼家が間一髪で止めました。陽成天皇に至っては、箱を開けたところから白雲が立ちのぼり、驚いて放り投げたという話もあります。こうした逸話は、神器に対する「人智を超えた力」を人々が信じていた証でもあります。

さらに、草薙剣に関しては、過去に実物を見たとされる宮司らが病に倒れ、命を落としたという記録も残っています。このようなエピソードは「神罰」や「祟り」として恐れられ、神器を直接見ることの危険性を後世に強く印象づけました。

こうした話の多くは説話集や神話、時には創作に基づいている可能性もありますが、それでもなお長い歴史の中で多くの人々に語り継がれてきたという事実は無視できません。人々は、単なる宝物ではなく「神聖な存在」に手を出すことの重大さを本能的に理解していたのかもしれません。

言ってしまえば、三種の神器を見てはならないという考え方には、呪いや神罰といった超常的な恐れが深く根づいているのです。現代の私たちにとっても、それは宗教や歴史の枠を超えた、「触れてはならない神秘」として受け継がれ続けています。

歴史に残る神器を見た人物たち

三種の神器は「見てはならない」とされてきたにもかかわらず、歴史の中にはその一端を垣間見ようとした、あるいはうっかり見てしまった人物たちの記録がいくつか存在します。彼らの多くは、高貴な身分であったり、戦乱の中で偶発的に目にしたケースが多いのが特徴です。

最も有名な例の一つが、陽成天皇と冷泉天皇の逸話です。陽成天皇は精神的に不安定だった時期に、神璽の箱を開けようとし、箱の中から白い雲が立ちのぼったという説話が残されています。結局、中身を見ることはできなかったとされますが、「見ることを試みた」という事実は当時としても大きなタブーでした。

冷泉天皇についても同様に、神璽の箱の紐を解こうとしていたところ、藤原兼家が駆けつけて制止したという話が『江談抄』に記されています。このように、天皇であっても実見は許されず、周囲の者によって止められるほど、神器に触れることは重大な問題だったのです。

一方で、壇ノ浦の戦いでは源氏の武士たちが神器を略奪しようとして、結果的に一部を開封してしまったとされています。その際には「目が眩み」「鼻血が出た」といった神罰めいた現象が起きたと記録されており、やはり見たことに対する代償が語られています。

また、近代になると初代文部大臣の森有礼が、八咫鏡の裏面を見たという話まで登場します。このとき、鏡の裏に「ヘブライ語が書かれていた」という都市伝説的な噂も存在しますが、事実であるかどうかは定かではありません。信憑性は薄いものの、こうした話が現代にも語り継がれていること自体、神器への関心の高さと、その神秘性を物語っています。

このように、三種の神器を実際に見ようとした人物は歴史上少数ながら存在し、その多くは何らかの異変に見舞われた、あるいは記録に残るほどの影響を及ぼしました。それが実話であれ、作話であれ、神器の「禁忌性」を後世に伝える重要なエピソードとなっているのです。

三種の神器は本当にあるのか

三種の神器が本当に存在しているのかどうか、この問いは古代から現代にいたるまで、繰り返し議論されてきました。現代でも天皇の即位儀式などでその存在が明示されることから、「存在はするが見ることはできない」というのが多くの人の認識でしょう。

三種の神器は、神話によれば天照大神から天孫降臨の際に瓊瓊杵尊に授けられたとされています。歴代天皇はこれを受け継ぎ、即位の際には神器の存在が「正統性の証」とされてきました。したがって、儀式や神道における神器の扱いから見れば「存在する」という前提で話が進んでいるのです。

しかし一方で、その実態については多くが謎に包まれています。現物が公開されることは一切なく、宮中祭祀や即位の儀式でも密閉された箱のままで運ばれます。学術的な調査も行われていないため、「本物なのか」「何が入っているのか」といった点については、いまだに確証が得られていません。

また、壇ノ浦の戦いで宝剣が海に沈んだことや、その後に「形代(かたしろ)」として別の剣が用いられた経緯を踏まえると、現在伝わっているものが「オリジナル」かどうかは疑問が残ります。鏡や勾玉についても、火災や戦乱で失われた可能性があり、現在あるものは後代に作られた再現品である可能性も否定できません。

それでも、神道における「御神体」は実物の価値以上に「存在そのもの」が重要です。たとえ形が変わっていても、三種の神器として信仰され続けている限り、それは「本当にある」と言えるのかもしれません。

結論としては、「存在はしているが、その本質は信仰に基づくものであり、物理的な証明は難しい」という曖昧な立場になります。見ることは叶わなくても、信じることによって成立してきた、それが三種の神器なのです。

三種の神器は今どこにあるのか

現在、三種の神器はそれぞれ厳重に管理された場所に安置されており、誰の目にも触れられない状態で保管されています。一般公開はもちろん、天皇であっても実物を直接見ることは基本的に許されていません。

まず、八咫鏡(やたのかがみ)は、宮中三殿の中心である「賢所(かしこどころ)」に祀られています。ここでは天照大神が祭神とされ、鏡はその神体の代わりとして置かれています。神道において、鏡は神の象徴とされるため、最も重要な神器の一つとされています。

草薙剣(くさなぎのつるぎ)は、その形代が皇居内の「剣璽の間(けんじのま)」に保管されていますが、実物とされるものは愛知県名古屋市の「熱田神宮」に安置されています。ただし、ここでも一般の参拝者はもちろん、神職であっても見ることはできません。剣は密閉された箱に納められており、開封の方法もごく限られた者だけが知るとされています。

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)もまた、皇居の「剣璽の間」に置かれており、皇位継承の儀式の際には、剣とともに天皇に付き従います。こちらも実物を確認することはできず、詳細な形状や材質なども明らかにされていません。

こうして見ていくと、三種の神器は「宮中」「神宮」など、非常に限られた神聖な場所に保管されており、その存在自体が国家の神秘性や権威を象徴するものになっています。見ることも触れることもできないからこそ、「本物かどうか」を越えて「存在すること自体」に意味があるのです。

現代において、これほどまでに厳重に秘匿されているものは稀です。その神秘性こそが、三種の神器の価値を今日まで保ち続けている最大の理由だと言えるでしょう。

三種の神器を見てはいけない理由の真相

三種の神器を見てはいけない理由3
  • 三種の神器は誰が作ったのか
  • 三種の神器の本物は現存するのか
  • 三種の神器を見れる人は限られている
  • 三種の神器と天皇の関係とは
  • マッカーサーが神器を見たという噂
  • 世界の王権象徴と比較してみる
  • 三種の神器の公開や見学は可能か

三種の神器は誰が作ったのか

三種の神器が「誰によって作られたのか」という問いに対して、明確な製作者の名前が歴史的資料に残っているわけではありません。なぜなら、これらの神器は「神話」に基づく存在だからです。日本の古代神話に登場する三種の神器は、もともと人間が作ったものではなく、神々の手によって生み出されたとされています。

最古の記録である『古事記』や『日本書紀』では、天照大神が孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に、地上に降り立つ際の「しるし」として三種の神器を授けたという記述があります。八咫鏡は、アマテラスが天岩戸に隠れた際、神々が鏡を使ってアマテラスを誘い出したエピソードに登場します。この鏡は、石凝姥命(いしこりどめのみこと)という神が鋳造したとされ、神器の中では唯一、製作者名が明記されているものです。

一方、草薙剣は、スサノオが八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した際に、その尾から出現した剣です。これは「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と呼ばれており、後にヤマトタケルがこの剣を使って火攻めを逃れたことで、「草を薙ぐ剣」=草薙剣と名を変えたという伝承があります。

八尺瓊勾玉に関しては、鏡と同じく天岩戸神話に登場し、玉造部(たまつくりべ)の祖神である玉祖命(たまのおやのみこと)が作ったと伝えられています。ただし、これらの「作った神々」も現実の職人や工匠ではなく、神話上の存在であるため、実際にどのように作られたのかは不明です。

このように、三種の神器は神の世界に起源を持つとされており、「誰が作ったか」という問いそのものが、人間の歴史的な物差しでは測れないテーマとなっています。したがって、実在の人物が作成した道具ではなく、神話という物語世界の中で生まれ、受け継がれてきた存在として理解することが必要です。

三種の神器の本物は現存するのか

三種の神器が現存するかどうかは、現代においても明確に確認することはできません。というのも、それらは完全に非公開の状態で保管されており、どんな専門家や研究者であっても直接の調査や鑑定が許されていないからです。ただ、皇位継承の儀式などでは「神器」が実際に使用されており、「存在している」という扱いになっています。

まず、八咫鏡については、現在も皇居の「賢所(かしこどころ)」に安置されているとされます。とはいえ、これは「形代(かたしろ)」であり、実物は三重県の伊勢神宮内宮にあるとされますが、こちらも厳重に秘匿されており、一般人はもちろん、神職ですら開封は許されていません。

草薙剣については、元々あったものは壇ノ浦の戦いで海中に沈み、その後は「形代」として熱田神宮に祀られている剣がそれに当たるとされています。過去に草薙剣を見たとされる記録もありますが、それによれば剣を見た人は重病にかかったり、流罪になったという話が残っており、実見自体が非常に稀であることがわかります。

八尺瓊勾玉については、現在も皇居内の「剣璽の間(けんじのま)」に安置されているとされます。この勾玉は、三種の神器の中で最も現存性が高いと考えられており、「本物」が今も存在しているという説が有力です。

しかし、それらが神話の時代から途切れることなく続いてきた「同一の物」であるかどうかは、確認する術がありません。特に鏡や剣に関しては、火災や戦争などで焼失し、新たに鋳造された可能性もあると言われています。

このように、三種の神器は現代にも「存在している」ものの、それが神話時代から連なる「本物」であるかについては断定できません。現存しているかという問いに対しては、「形式としては存在し、祭祀にも使われているが、その実体は確認されていない」といった曖昧な答えにならざるを得ないのです。

三種の神器を見れる人は限られている

三種の神器は、非常に限られた人しか見ることが許されていません。これは、単に貴重な文化財だからではなく、神器が神聖な存在であり、日本の皇統と深く結びついた「神宝(しんぽう)」だからです。一般公開はもちろんされておらず、その存在や取り扱いには厳格なルールが設けられています。

まず、天皇自身ですら、三種の神器を直接目にすることはほとんどありません。即位儀式の際に使用されるのは、あくまで密閉された箱に入った形代であり、開封されることはないとされています。過去の記録を見ても、天皇が神器を開けたという話は逸話の域を出ず、信ぴょう性には疑問が残ります。

神器の保管や管理を任されているのは、皇居内の「掌典(しょうてん)」という祭祀担当の役職者や、伊勢神宮・熱田神宮などに奉仕する神職たちです。しかし、彼らですら中身を見ることは禁じられており、扱う際も厳格な儀礼のもとで慎重に取り扱われます。

戦前までは、天皇が地方へ行幸する際、「剣璽動座(けんじどうざ)」といって、草薙剣と八尺瓊勾玉が随行しましたが、そのときも神器は密閉された状態で運ばれ、見ることはなかったとされています。戦後はこの慣習も廃止され、神器の移動は基本的に行われなくなりました。

また、歴史上、神器を偶然見てしまった武士や女官などが記録に残っていますが、いずれも何らかの異変や天罰に見舞われるという結果になっており、現代でもその禁忌性は暗黙の了解として受け継がれています。

つまり、三種の神器は「誰にも見られてはならないもの」として守られており、それに直接触れたり、見ることが許される人は事実上存在しないのです。この徹底した秘匿性こそが、三種の神器に対する信仰と神秘性を今日まで保ってきた最大の要因だといえるでしょう。

三種の神器と天皇の関係とは

三種の神器と天皇は、切っても切り離せない関係にあります。これらの神器は単なる儀式用の装飾品ではなく、天皇の「正統性」を示す象徴であり、皇位継承の際には必ず伴われる存在です。日本において天皇は、神話的存在である天照大神の子孫とされており、その血筋と権威を示す「証拠」として三種の神器が受け継がれてきました。

神話に基づけば、天照大神は孫の瓊瓊杵尊に三種の神器を授け、「これをもって地上を治めなさい」と命じました。この行為が、天皇の支配が神から授かった「神勅」によるものであるとする根拠となっています。以降、神器は代々の天皇に継承され、皇位の継承に欠かせない神宝となったのです。

実際、天皇の即位の際には「剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)」という儀式が行われ、三種の神器のうち草薙剣と八尺瓊勾玉が形代として天皇に引き渡されます。この儀式こそが、天皇としての「即位」を意味しており、神器を受け取らなければ即位は成立しないともいえるのです。

一方で、歴史上には神器の一部が失われた例もあります。壇ノ浦の戦いで草薙剣が海に沈んだ際、新たな「形代」を用いて継承を行ったという記録があります。このことからも、物としての「本物」に固執するのではなく、「象徴」としての意味合いが重視されていることがわかります。

また、三種の神器は、天皇の「現人神(あらひとがみ)」としての性格を裏付ける存在でもあります。明治以前の日本では、天皇は神と人をつなぐ存在とされており、その神聖さを象徴するのが三種の神器でした。戦後の日本国憲法では天皇の地位が象徴に変わりましたが、儀式における神器の重要性は変わらず続いています。

このように、三種の神器は天皇という存在を宗教的、政治的に正当化するための不可欠な要素であり、その伝統は今も厳格に守られています。

マッカーサーが神器を見たという噂

終戦直後、占領下の日本において連合国軍最高司令官として君臨したダグラス・マッカーサー元帥にまつわる都市伝説の一つに、「三種の神器を見た」という話があります。しかしながら、この逸話については信頼できる史料や証拠が存在せず、あくまで噂や伝聞の域を出ていません。

この話の背景には、当時の日本が連合国に降伏し、天皇制の存続自体が揺らいでいたという状況があります。マッカーサーは天皇・昭和天皇との面会を何度か行っており、その中で「天皇が持つ特別な何か」に興味を抱いていたのではないかと考える人がいます。その文脈から、「神器を見たのではないか」という憶測が生まれたとみられます。

一部では、伊勢神宮や皇居の奥深くを調査した、仁徳天皇陵を掘り起こしたなどという話までありますが、これらは公式記録には一切残されておらず、信憑性は非常に低いといえます。加えて、三種の神器は厳重に保管されており、たとえ天皇の即位であっても開封されないのです。外国人であるマッカーサーが見ることは、制度的にも物理的にも不可能に近いでしょう。

また、このような噂には「神器の裏にヘブライ語が書かれていた」など、明らかに創作と思われる内容も含まれており、陰謀論めいた話に発展するケースもあります。こうした内容が一部で流布されたのは、戦後の混乱期に日本の神秘性や天皇の権威を揶揄する目的があったのかもしれません。

結局のところ、マッカーサーが神器を見たという話は、歴史的な根拠がなく、事実とは断定できません。むしろ、神器の「見てはいけない」「誰にも触れられない」という特性があるからこそ、こうした都市伝説が生まれやすいのだと考えるほうが自然です。

世界の王権象徴と比較してみる

三種の神器は、日本における天皇の正統性を示す重要な象徴ですが、世界各国にも同様に王権を象徴する品々が存在しています。それらと比較することで、三種の神器が持つ文化的・宗教的な特性をより深く理解することができます。

イギリス王室には「クラウン・ジュエルズ(王冠の宝物)」と呼ばれる一連の宝物があります。特に「セント・エドワード王冠」や「王笏(しゃく)」などは、戴冠式に使用され、王の権威を象徴する存在です。これらはロンドン塔で常時展示されており、一般の観光客でも見ることができる点で、日本の三種の神器とは大きく異なります。

一方で、フランスや神聖ローマ帝国などの中世ヨーロッパにおいても、王冠、剣、宝珠などが「王の正統性」を示すシンボルとして用いられていました。これらは宗教(キリスト教)との深い結びつきの中で意味づけられ、戴冠式では教会の儀式を通じて神の祝福を受ける道具として機能しました。

日本の三種の神器が他国と異なるのは、まずその起源が「神話」にあることです。スサノオやアマテラスといった神々が関与しており、単なる権力の象徴ではなく、「神との血のつながり」を示すものとされています。また、実物が原則非公開であり、伝承・神秘性を保つこと自体が価値とされています。

加えて、他国の王権象徴が王や国民の目に触れることで正統性をアピールするのに対し、日本の三種の神器は「見えないこと」が神聖性を高めている点が対照的です。この違いは、日本文化における「秘匿性」や「畏れ」の美学にも通じる部分があります。

こう考えると、三種の神器は世界の王権象徴の中でも特に「神秘性」に重きを置いた極めて独自の存在だと言えるでしょう。

三種の神器の公開や見学は可能か

三種の神器について、「見てみたい」と感じる人は少なくありません。しかし、結論からいえば、三種の神器を一般の人が見学することは一切できません。むしろ、これは長年にわたって「絶対に公開してはならない」とされてきた、日本で最も厳格な文化的禁忌の一つです。

三種の神器は、現在それぞれ別々の場所に安置されています。草薙剣は熱田神宮に、八咫鏡は伊勢神宮に、八尺瓊勾玉は皇居内の「剣璽の間」にあります。ただし、いずれも「本物」は密閉された状態で保管されており、見られるのは神職や皇族であっても「箱の外側」までです。

また、即位の儀式や賢所大前の儀などの際には、三種の神器(の形代)が儀式に使用されることがありますが、それも完全に封印された状態で運ばれます。報道写真や記録映像などに写ることはありますが、中身が明かされることはありません。

神社においても、たとえば熱田神宮や伊勢神宮には多くの参拝者が訪れますが、神器そのものを見学することはできません。あくまでも、拝殿や本殿の外から拝むという形式であり、物理的な「鑑賞」は不可能です。

さらに言えば、三種の神器は国宝や重要文化財といった文化財指定もされていません。これは、あくまで「信仰の対象」であり、文化財とは異なる扱いをされているからです。展示・開示・研究といった行為が制度上も排除されているのです。

要するに、三種の神器は「見たい」と願っても、見ることが不可能な存在です。それこそが、この神器の最大の特徴であり、神秘性を高めてきた理由でもあるのです。何はともあれ、その不可視性こそが、三種の神器を神話的な存在として現代に伝え続けている所以といえるでしょう。

三種の神器が見てはいけない理由を総括

三種の神器が「見てはいけないもの」とされてきたのは、単なる迷信ではなく、歴史・神話・宗教・文化が複雑に絡み合った、日本独自の価値観が深く関係しています。ここでは、これまでの内容をふまえて、なぜ三種の神器を見てはいけないのかを、15のポイントに分けてわかりやすくまとめます。

  • 三種の神器は、神話の中で天照大神から授けられた「神聖な宝物」とされています。
  • 天皇の正統性を象徴する存在であり、「皇位継承の証」として扱われています。
  • 神体や神の依り代としての意味を持ち、人の目に触れること自体が不敬とされてきました。
  • 特に八咫鏡は「アマテラスの分身」とも言われ、極めて神聖な扱いを受けています。
  • 天皇ですら三種の神器を直接見ることはなく、儀式でも封印された状態で取り扱われます。
  • 歴史上、神器を見たとされる人物には、目が眩んだり鼻血を出したという逸話が残されています。
  • 壇ノ浦の戦いでは、神器を覗いた武士が「神罰」を受けたという記録があります。
  • 冷泉天皇や陽成天皇が神器を見ようとして、怪異に見舞われた話もあります。
  • 草薙剣を見た神職が病に倒れたという伝承もあり、呪いや祟りとして恐れられています。
  • 三種の神器は、原則として「誰も見てはいけないもの」として制度的にも厳重に管理されています。
  • 保管場所は皇居(賢所・剣璽の間)、伊勢神宮、熱田神宮と、それぞれ特別な神域内です。
  • 神器の実在については確認されておらず、「本物かどうか」は神話と信仰に基づいています。
  • 一部でマッカーサーが神器を見たという噂もありますが、信ぴょう性はなく都市伝説の域です。
  • 他国の王権象徴とは異なり、「秘匿性そのもの」が神秘性と権威を高めている点が特徴です。
  • 現在も一般公開や見学は一切行われておらず、その神秘は現代まで守り抜かれています。

このように、三種の神器が見てはいけないとされる背景には、単なる伝承を超えた深い信仰と文化の積み重ねがあります。だからこそ、多くの人々が今もなお「決して見てはいけない神秘」として、三種の神器に畏敬の念を抱いているのです。

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