このページでは、旧石器時代の日本について簡単にわかりやすく解説していきます。
世界史における旧石器時代
人類の歴史において、いまから約250万年前~1万年前くらいまでの期間を旧石器時代と呼びます。
旧石器時代の人類は、いくつかの家族が集まり原始的な集団生活を送っていました。
そこでは、動物や魚を捕まえたり、木の実を拾ったりといった狩猟採集の生活を送っていました。
この狩猟採集のことを、別の言い方で獲得経済と言ったりもします。
旧石器時代の人類は、打製石器という道具を使って集団で狩りをしていました。
打製石器とは、石と石をぶつけ合って作った道具のことです。
初期のものは、ほぼ自然の石に近いものだったりするのですが、人類の進化に伴い打製石器も進化していき、先端を尖らせて攻撃力を高めたり、木などと組み合わせて槍のように使っていたものも現れます。
この、打製石器を使っていた時代を旧石器時代と呼びます。
なぜ日本に旧石器時代があることがわかったの?
じつは長い間、日本列島には旧石器時代がなかったと考えられていました。
約1万3000年ほど前に始まる縄文時代が日本史のはじまりで、それ以前の日本列島は火山活動が活発で人が生活できる環境ではなかったと考えられていたのです。
ですが、1949年に相沢忠洋(あいざわただひろ)という当時20代前半の青年が、群馬県の関東ローム層(赤土層)から打製石器を発見します。
この発見がきっかけで、日本には旧石器時代はないと考えられていた当時の常識がくつがえされ、旧石器時代後期の約4万年前から日本列島で人が生活していたことが証明されたのです。
相沢忠洋が打製石器を発見した群馬県の遺跡は岩宿遺跡(いわじゅくいせき)と名付けられ、その後の調査で多数の打製石器が出土しています。
なぜ日本列島に人類はやってきたの?
さて、旧石器時代のなかば、初めて日本列島にやってきて日本に住み始めた人々(私たちの遠いご先祖様かもしれませんね)はどのような人たちだったのでしょうか。
見ていきましょう。
旧石器時代の日本列島は大陸と陸続きだった
旧石器時代の地球は、地質学的には「更新世(こうしんせい)」と呼ばれています。
更新世は一般的には「氷河期」などとも呼ばれます。とても寒い時代だったんですね。
地球全体が冷えていた更新世には、地球上の水が氷に変化するので、海水面が下がって、現在は海の場所も地表が露出していました。
(現在、温暖化で海水面が上昇しているのと逆の現象ですね)
それによって、日本列島は、北は北海道の樺太方面、南は九州の対馬あたりが、ユーラシア大陸と陸続きになっていました。
当時の日本は島ではなかったんですね。
ちなみに、更新世が終わり、現在の日本列島の形ができあがったのは1万年前ほど。
それ以降を地質学的には「完新世」と呼びます。
ナウマンゾウなどの大型動物を追って人類は日本列島にやってきた
日本列島が大陸と陸続きになると、大陸から大型動物が日本列島にやってくるようになります。
北からは、マンモス、ヘラジカ、エゾシカ。
南からは、オオツノジカ、ナウマンゾウといった動物がやってきます。
この大型動物を追ってやってきた人類が、日本列島に最初にやってきた人類だと考えられています。
ちなみに、旧石器時代の人類は一箇所に定住することはなく、テントのような小屋や洞窟で暮らし、獲物を追って移動しながら生活していたと考えられています。
ナウマンゾウは、長野県の野尻湖(のじりこ)で化石が発見されています。
旧石器時代に使われていた打製石器の種類
旧石器時代の日本で使われていた打製石器は、主に4種類あります。
打製石器も、時代に応じて進化するのですが、進化の方向でいうと
石斧(せきふ)
↓
石刃(せきじん)
↓
尖頭器(せんとうき)
↓
細石器(さいせっき)
の順になります。
受験生が覚えておきたいのは、打製石器の名称と使い方、進化の順番です。
それぞれ解説しますね。
石斧は、日本で発見される最初期の打製石器で、用途は打撃用です。
斧のように、獲物を叩きつけるという利用方法をしていたと考えられています。
つぎに現れるのが石刃。用途は切断用です。
包丁のような形状で、肉を切ったり皮を剥いだりするのに使われていたと考えられています。
つぎに現れるのが尖頭器。用途は刺突用です。
尖頭器は小型の尖った石で、木などの先端につけて槍のように使っていたと考えられています。
最後に現れるのが細石器。
木や骨などに、複数の尖った小さな石を埋め込み、ノコギリのようなギザギザ状にして、切断力を高めたと考えられています。
また、旧石器時代はもともと日本に存在しないと考えられていたので、石器の名称は英語を翻訳しています。
英語では、
石斧はハンドアックス(hand axe)。
石刃はブレイド(blade)。
尖頭器はポイント(point)。
細石器はマイクロリス(microlith)。
という名称がついています。
日本で発見されている化石人骨
日本は酸性土壌が多いため、土に埋まった人骨は長い年月の間で溶けてなくなってしまいます。
そのため、旧石器時代の人骨はほとんど見つかっていません。
ですが、ほんの数例ですが、日本でも旧石器時代の人骨が発見されています。
受験生が覚えておきたい重要なものは、
沖縄県の港川人骨と静岡県の浜北人骨。
とくに沖縄県の港川人骨は、ほぼ全身が発見されていて重要な資料になっています。
また、人類は
猿人→原人→旧人→新人
と進化しましたが、
日本で発見された人骨はどれも新人の段階のものです。
まとめとポイント
以上、旧石器時代の日本の概要を解説しました。
はるか数万年前の日本列島で、人々がどのように生きていたのか、想像するとロマンがありますよね。
ちなみに、「旧石器時代があるなら新石器時代もあるの?」という疑問も出てくると思います。
日本にも新石器時代はあるのですが、一般的には新石器時代という名称は使いません。
世界史における新石器時代が、日本では縄文時代に該当するので、新石器時代という名称ではなく縄文時代という名称を使います。
縄文時代の概要や、旧石器時代と縄文時代の違いなども別ページで解説していきますので、楽しみにしていてください。
受験生が覚えておきたいポイント
さて、今回解説した箇所で大学入試を目指す受験生が覚えておきたいポイントをいくつかピックアップします。
※相沢忠洋、群馬県、岩宿遺跡というのはセットで覚えておきましょう。
※関東ローム層というのも重要キーワードです。
北からはマンモス、ヘラジカ、エゾシカ。
南からはオオツノジカ ナウマンゾウといった大型動物がやってきて、それを追って人類が日本列島にやってきた。
ナウマンゾウの化石は長野県の野尻湖で発見されている。
※更新世は重要キーワードです。
※北と南からそれぞれどんな動物がやってきたのか、覚えておきましょう。
※ナウマンゾウと長野県の野尻湖という組み合わせも重要です。
石斧→石刃→尖頭器→細石器
旧石器時代の人骨が発見された場所
※沖縄の港川人骨、静岡の浜北人骨と、それぞれセットで覚えておきましょう。
また、この時代の遺跡は現在の県名とセットで覚えることと、地図上での位置を覚えておくことも大事です。
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